なぜ働くのか?という問いを通して、あおき研究員がこれまでの人生や、ラムネ起業の経緯、その中で行き着いた考え方についてレポートします。
青木 計成(かずなり)。株式会社ラムネCOO。理工学部卒業後、システムエンジニアになるつもりで㈱電通国際情報サービスに入社するも、1カ月で営業マンに。
自動車・電機精密メーカー向け営業を5年経験後外資系生命保険会社にヘッドハンティングされ転職。「コミュニケーション能力オバケ」な同僚達に囲まれ修行の日々。
社内表彰制度に入賞する等の実績が出てきた矢先、福岡で保険代理店を営む父より「継ぎに帰ってきてほしい」との依頼。生まれて初めて父から頼られたことに心揺れ動く。
結婚し、子どもを授かった後2015年8月帰郷。2022年1月に事業承継完了。今後の保険代理業の発展、保険営業マンの地位向上をデジタルで実現する為、電通国際時代の同期五島と共に、2022年7月株式会社ラムネを設立。
Twitterでは「あおき@ラムネCOO」で保険やその周辺知識を中心に投稿している。
こんにちは!福岡市城南区で40年続く小さな保険代理店を経営しながら、世界へ羽ばたくことを夢見ている株式会社ラムネCOOの青木です。
私たちラムネは、自分らしく生きる皆さんの力になりたいと願う保険スタートアップです。これから皆さんのお役に立つ情報を、ブログで発信していきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いします。
フリーランスや独立を考えている方、サラリーマンで出世したいと思っている方、一旦仕事休みたいと思っている方、多くの方に何か心に残るような有益なブログになれば心からうれしいです。
第一回目の今回は、私の社会人人生約18年間で培った「なぜ働くのか?」に対する答えです。それは、「死ぬ前に後悔しないため」です。大げさに聞こえるかもしれませんが正直な気持ちです。覚悟を持った経緯を、強い覚悟を持って書きましたので、読了に10分程度掛かります。読まれる方も覚悟をもって読んでくださいませ(笑)
私は、福岡市城南区の油山のふもと付近で生まれ、地元の小・中学校では上から10番以内くらいには入る程度の成績優秀な真面目な少年でした。
当時、父が「社長」であることは知っていましたが、どんな仕事をしているかは全く知りませんでした。背中で語るタイプの威厳満載の父は、私には何も話さないし、相談事があっても、直接は怖いので、母に相談して2、3日後に父から了解を得たという報告を母から聞く、という感じでした。私の当時の夢は「社長」。ちなみに今こうやっていくつかの会社を経営する「社長」にはなっているので、夢が叶ったのかもしれませんが、これは単なるスタートラインであることを痛感する毎日ですね。
当時から数学好きで、中学では校内1位になるレベルでした。計算が得意だと思い込んでいたのでしょうか。名は体を表すとはよく言ったものです。その後、高校は理系に進み、関西学院大学理工学部情報科学科という新設学科の一期生として進学しました。
就職活動を進める上で、父からは「俺の後は継ぐな」、「男なら一度は東京」と言われておりましたし、プログラミングやデータマイニングを学ぶ学科でしたので、システムエンジニア志望でした。
コミュ力は文系には負けるが理系の中では勝てる方、という謎の自己分析がありました(笑)。電通国際情報サービスは、スマートで先進的で人情もある素敵な会社だと思い入社しました。今思っても、新卒で入社した会社としては、とにかく「人」に恵まれた環境だったと思います。
ただ一つ予定と違ったことは、実はプログラミングが苦手なことを隠して入社したところ、1か月ですぐにバレて営業マンになっちゃったことです。営業マンって、理系脳の私には一番苦手な職種なんですよ。接待とか、しんどそうじゃないですか?自分のリズムを崩す代表的なお仕事、それが営業という認識でした。
大手自動車会社やカメラメーカー等を担当することになり、商品設計者用のソフトウェア(CAD・CAE)を売る営業マンをやっていました。私が自分でCAD等のソフトウェアを使ったりするわけではないので、商品知識が全然頭に入らないまま、お客様に課題を聞いたり、ソリューションを考えるのはつらかったです。本当にお客様の役に立っているのかを自問自答しながらの毎日でした。
そんな中、社会人5年目に入り、知らない番号からいきなり電話がかかってきました。外資系生命保険会社の所長でした。当時、飲み会で終電か、仕事で終電か、という生活をしていましたので、ちょっとサボりたい気持ちで所長さんとお会いすることに。
様々なお話を聞きながら、「生命保険」という分野に非常に興味が沸いてきました。生命保険は、25歳の時、営業先の工場に来ていたいわゆる当時「セールスレディ」といわれていた営業の方から加入していて、一生のうち、自分が死んだら5000万円払われるという商品に、月々1万円程度払っていました。
所長にその内容を見てもらったところ、65歳で効力が無くなる保険だということがわかりました。??一生じゃなかったっけ?ん?35歳で更新が来る??どんどん掛け金が高くなる?ん?思ってたんと違う。。。所長の説明を聞けば聞くほど、自分の死(一生)をきちんと考えて生きてなかったなと思ってきました。
自分が死んだときのための保険を、ほとんど何も考えずに加入していたのですから。
何のために生きているのか、自分が大切にしたいものは何なのか、なぜ生まれてきたのか、なぜ働いているのか、ぐるぐる頭の中で自問自答しながら、全て答えを持っていないことに気付かされました。そこで私は、答えを見出すべく、その所長のもとに転職することを決めました。
「外資系生命保険会社」と聞いて思い浮かべる企業はありますか?おそらくその中に、私が在籍した企業があります。それくらい有名な企業です。毎週3件のご契約をお預かりすることが入社2年間のミッションです。自分の友人・家族へアプローチし、保険に関する正しい知識をもってお客様に信頼・感動を与え、ご紹介を頂く、その連鎖によってマーケットが広がっていく、といった営業手法です。
多くの方は、この手法を聞いて、ドン引きされます。自分の家族や友人からお金をもらうなんて、と。私もちょっとそう思ってました(笑)。しかし、その考えが真逆にひっくり返る経験をしました。
私から保険に加入してくださった先輩が、急に難病に罹り亡くなりかけたんです。奥様から「主人の入っている保険で大丈夫ですか?」という電話が掛かってきました。
その先輩は、まだ独身の時にご加入頂いていたのですが、ご結婚されて、お子様が生まれても、当時の生命保険の保障を見直すことは拒まれていました。私も、「気が向いたら言ってくださいねー」くらいの軽い伝え方しかしておらず、保険契約が見直されないまま、難病を患ってしまったんです。
加入頂いていた生命保険に加えて、遺族年金、遺族厚生年金、会社の死亡退職金、全てを調べても奥様とお子様が必要な収入には到底足りないことがわかり、奥様には「足りないことがわかりました。主人には生きてもらうことにします」ガチャッ!と電話を切られました。切られた電話を片手に渋谷のカフェの端っこで呆然としていた光景は未だに忘れられません。
大事な家族の人生を背負っている仕事だと痛感しました。強烈に後悔をすると同時に、自分がなぜ働くのかが見えてきた経験でもあります。
ちなみに、その先輩は、今も治療はしながら元気に暮らしているようで、本当に良かったです。。
転職後数年経ち、一定の成績を出しているのを聞きつけた父が、一本の電話を掛けてきました。時「福岡に戻ってこないか?」ということでした。
父は背中で語るタイプというか、私とほとんど会話をしてこないままの30年でした。威厳があって、私が子供のころは、父に何かを相談しようものなら私は声が震えるほどでした。すべて母に相談して、数日経ってから父からの返答を間接的にもらうといった調子でした。
それゆえ、父がどのような仕事をしているのかもさっぱり理解しておらず、外資系生命保険会社に転職した際も、実は父にはほとんど相談していません。
そんな父が、私を頼ってくるなんて考えたこともありませんでした。私に後を継いでほしいという電話を掛けてきたんです。私には、当時数百人のお客様がいましたので、そのお客様を裏切って実家に戻るという決断は難しかったのですが、父から頼られたことがうれしくて、数年掛けて戻る体制を整えていくことにしました。
東京→福岡に戻り再出発となりました。東京時代の直接の友人・知人は既に前職で営業させてもらってましたし、福岡に戻るのも高校以来ということもあり、営業先がほぼ無いところからのスタートでした。
ちなみに父の会社は、有限会社青木保険事務所といって、東京海上日動の専業代理店でした。損害保険(自動車や火災等)と生命保険を扱っており、まずは東京海上日動の研修生として3年間修業をし、独立できる(経営できる)素養があるかどうかを計られた後に継承していく、という流れでした。
つまりは3年間でノルマ達成せよ、ということです。ノルマ達成率は5%とのことでした。全くもって白地でしたので、当初は難しかったのですが、外資系生命保険会社での5年間の経験からなのか、びっくりするぐらいの成績が出せまして、1年半で3年分のノルマを達成することができました。
もちろん天狗になりました(笑)。父が体調も悪くなっていたのもあり、無理矢理、研修を途中でドロップアウトさせて頂き、青木保険事務所に戻ることになりました。
家族経営の青木保険事務所に戻って、既存のお客様ともたくさん接することとなりました。つまりは父のお客様です。父とお客様とのこれまでの歴史を毎回聞くことできました。自分が知らない30年をお客様との会話で埋めていくような感覚でした。
父は、お客様とどのように信頼関係を築いてきたのか、とにかく父が好かれていることを実感する毎日です。とにかくマメで、シャンプーしているときもお客様からの電話を取るような父でした。「青木さんから入らせてもらっている」みたいな心情の方が非常に多いのが印象的でした。
昨今のコスパを重視する風潮とは真逆です。同じ業界を経験すればするほど、父の営業マンとしての実力が凄まじいものだったんだと実感することができました。同時に、二代目として引き継ぐ自分がこの事務所を潰してしまわないか、と不安にもなってきました。
複数の保険会社を扱う乗合代理店と、一社の保険会社を扱う専業代理店のうち、特に青木保険事務所のような専業代理店は縮小傾向にあります。
ネット保険の普及や、人口減少、乗合代理店による比較販売の方がコスパ重視で選べて安心、といった様々な要因が考えられます。そんな中でどう生き残るべきなのかを、自問自答する毎日が今も続いています。
時代の変化をどう捉えるのかが重要ですね。ここをどう突破すべきか。青木保険事務所の規模を大きくするのか、他の代理店に参画するのか、違ったビジネスを模索するのか、誰と仕事をするのか、なぜ働くのか、何を犠牲にするのか活かすのか。。。
今までの40年間の人生の総括をしつつ、これからの40年間を左右する大事な時が訪れています。
悩みながらも目の前の営業マンとしての実績を重ねることで、青木保険でのこれまでの8年間は着実に成長しています。ただし、これ以上は難しいだろうと思っていた矢先に五島から連絡が入りました。
彼からの用件は、「保険業界について教えてほしい」ということでした。私がそれまで抱えていた保険業界の課題や、日々の不平不満、逆に保険屋としての使命感、誇りと思っていることまで、全て話しました。
五島はすべてロジカルにまとめてくれて、私の思考の整理してもらい、非常に良い時間でした。週2回×1時間程度のリモート定例を1年ほど続けました。
五島は、私が抱えている課題意識をデジタルで解決することができれば、新しいビジネスになるのではないかと模索してくれました。そこで考え出されたのが「ラムネ」です。
五島は、私のこれからの保険屋人生において、一筋の光を与えてくれた存在です。
彼は、自分らしく生きたいと願う強い気持ちで会社員を辞めてカリフォルニアで暮らしていますが、すごく変わってますよね。日本人のなんとなくの人生の過ごし方に基準があって、その基準に照らすと、彼は圧倒的に変わってるんです。
でも人生って変わっている人の方が、深みがあって面白くて、うらやましいし、応援もしたいと思います。一度きりの人生。私も挑戦しようと思わせてくれる、素晴らしいパートナーです。
彼と一緒に居れば、この事業が失敗したところで、失敗を活かした新しい事業が生まれるんじゃないかという安心感もあります。
ちなみに、ラムネで実現するサービスは、これまでの保険業界の課題を解決し、保険商品の素晴らしさ、保険屋さんの素晴らしさを正しく広める為のものです。
皆さんが保険の知識を学び、得ることによって、正しく保険商品を理解することができるようになり、自分で選択できるようになります。そうなることで、「お金は払っているけど、どんな効力があるか知らない」という状況にはなりません。
多くの方が必要だと思っているけど、効力が理解しにくい「保険」という商品を、できる限りシンプルにわかりやすい形にコンテンツ化していき、もし保険に入るべきタイミングが来た際には、スムーズに良い保険を選ぶことができるようになれば、これほどうれしいことはありません。
私は、なぜ働くのか。
それは、自分が死ぬ前に後悔しないためです。
後悔しない自分とは、人の役に立つことをして、自分を誇れるようになっていることです。人の役に立っている自分の姿を、威厳ある背中だけで表現してきた父とは異なりますが、私なりの表現で息子に見せていきたいと思っています。息子に尊敬されるようなパパになりたいと思っています。そして夢に向かってチャレンジする息子になってもらいたいと思っています。
もちろん、お金は稼ぎたいと思っていますが、「物」、「心」共に豊かにならなければ幸せとはいえません。ラムネはそれを実現する事業です。この気持ちにもし共感頂ける方がいらっしゃれば、一緒にお仕事させて頂きたいですし、ラムネの保険を選んで頂きたいと思います。これからどうぞよろしくお願いします。
ラムネ保険コンシェルジュでは
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